2009年5月27日水曜日
2008年11月5日水曜日
12人の怒れる男たち

《ロシアのとある裁判所で、センセーショナルな殺人事件に結論を下す瞬間が近づいていた。被告人はチェチェンの少年、ロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていた。検察は最高刑を求刑。有罪となれば一生、刑務所に拘束される運命だ。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかりとなった・・・。 証拠もある、目撃証言もある。少年は罪を認めてはいないものの「有罪」か「無罪」かを決めるには十分すぎる情報が揃っていた。挙手による簡単な方法でその判断を下す話になるのだが、陪審員の1人が 結論を出すには早すぎるのではないかと疑問を呈し、手を挙げて終わりでいいのかと、男たちに問いただした。これがきっかけで12人の陪審員達が裁判にのめりこんでいいく。
少年は「有罪」なのか?「無罪」なのか?あなたならどう裁きますか?》(上記ホームページより)
もともとは1957年にアメリカでつくられた(シドニー・ルメット監督)のをちょうど50年後にロシアでリメイクしたもの。
もともとのを観ていないのですが、全員一致するまで論議するという「民主主義」のもつ力を描き出すという点では、2つの作品は共通してるようです。
民主主義は、めんどくさく、時間がかかるけれども、衆知を集めることによって真実へと接近してゆく。
しかし、ミハルコフ版は、そこにとどまっていない。論議するだけの「民主主義」が無力に転ずる姿を描いていて、よりいっそう深い(んじゃないかな。前の観てないから…)。
論議はなんのためにするのか。それは行動(なにをどうやってするのか)を選びだすためであって、そこから切り離された論議は、たとえそこで得られた結論が正しくとも、無に等しくなる。反対物に転化するのです。
せりふの中にもでてきますが、ソ連時代からの負の経験が生きていんですね。論議はするが何もすすまない、変わらない、ということをいやというほと繰り返してきた。
チェチェン紛争(ソ連・ロシアによるチェチェンへの干渉・侵略)を背景にしていることが、さらにこの映画を重く、深いものにしています。戦争は、問答無用の行き着く先でもあり、平和は民主主義を必要としている。その民主主義はいかなるものであるべきなのか。
私たちの「主権者力」を磨く、すばらしい映画です。
この自由な世界で

2008年10月31日金曜日
上耕さん亡くなる
上田さんの本は8割ぐらいは読んでいると思います。
最初に読んだのは、高校生のときで、『現代日本と社会主義への道』(新日本出版社)でした。
とてもわかりやすく、科学的社会主義の理論と日本社会の変革のありかたについて体系的に
理解することができました。
野呂栄太郎と講座派、久留間鮫造とマルクスレキシコン、戸田慎太郎氏の剰余価値率の計算などについて知ったのも、この本からです。
マルクスやレーニンなど古典からの引用も適度にあって、学習の「出撃基地」になるような本でした。
2001年、上田さんを広島県労働者学習協議会で呼んで大学習会を開催。
会場の県民文化センターは人があふれました。テーマは、「21世紀を平和の世紀に」
2000年に上田さんが『経済』に発表した論文を読んで、あらたな理論展開がされていることに注目しました。それは、20世紀を戦争違法化原則の発展過程ととらえ、日本国憲法9条が実現しうるところまで世界が進んでいるという提起でした。
この論文が収録されている『戦争・憲法と常備軍』(2001・大月書店)の序文にはつぎのように書かれています。
《戦争の克服は、主権の回復とともに21世紀の最大の国民的課題となっている。 それは21世紀の人類的課題ともいえよう。かつて合法的だった戦争を一般に「違法」とした戦後の国際法の画期的達成、人類の破滅と直結しかねない「核時代」の到来に「核兵器の威嚇・使用は国際法の諸原則に違反する」とした96年の国際司法裁判所の裁定、世界各国に、国連にひろがり続ける核廃絶と戦争反対の世論と運動などなどは、一方でアメリカの一極覇権主義を中心とする国際政治の新たな戦争の危険をはらむ展開があるとはいえ、諸国民が核廃絶からさらに進んで戦争そのものの社会的廃止を目的とすることが可能となりつつあることを示しているのではなかろうか。21世紀を「平和=戦争廃止の世紀」にすることができれば、それは戦争とともに生きてきた数千年の人類社会史の、まったく新しい次元への飛躍を意味することになるだろう。》
上田さんは、講演にあたって相当の準備をされ、ヒロシマのもつ世界史的意義についても語ってくれました。
講演そのままではありませんが、その主な内容は、『ブッシュ新帝国主義』(新日本出版社)に収録されています。私たちがお招きしたことが、上田さんの研究のひとつの契機となったこと、うれしく思います。
上田さんは、我が師、芝田進午の友人でもあったのですが、講演に来られたとき、「芝田が亡くなった翌日に、手紙が来た」と話してくれました。書評への礼状だったそうです。
2008年8月20日水曜日
師匠 中易一郎 亡くなる
