2008年11月5日水曜日

12人の怒れる男たち


観てきました。ミハルコフ監督「12人の怒れる男たち」

《ロシアのとある裁判所で、センセーショナルな殺人事件に結論を下す瞬間が近づいていた。被告人はチェチェンの少年、ロシア軍将校だった養父を殺害した罪で第一級殺人の罪に問われていた。検察は最高刑を求刑。有罪となれば一生、刑務所に拘束される運命だ。3日間にわたる審議も終了し、市民から選ばれた12人の陪審員による評決を待つばかりとなった・・・。 証拠もある、目撃証言もある。少年は罪を認めてはいないものの「有罪」か「無罪」かを決めるには十分すぎる情報が揃っていた。挙手による簡単な方法でその判断を下す話になるのだが、陪審員の1人が 結論を出すには早すぎるのではないかと疑問を呈し、手を挙げて終わりでいいのかと、男たちに問いただした。これがきっかけで12人の陪審員達が裁判にのめりこんでいいく。


 少年は「有罪」なのか?「無罪」なのか?あなたならどう裁きますか?》(上記ホームページより)

もともとは1957年にアメリカでつくられた(シドニー・ルメット監督)のをちょうど50年後にロシアでリメイクしたもの。

 もともとのを観ていないのですが、全員一致するまで論議するという「民主主義」のもつ力を描き出すという点では、2つの作品は共通してるようです。

民主主義は、めんどくさく、時間がかかるけれども、衆知を集めることによって真実へと接近してゆく。

 しかし、ミハルコフ版は、そこにとどまっていない。論議するだけの「民主主義」が無力に転ずる姿を描いていて、よりいっそう深い(んじゃないかな。前の観てないから…)。

 論議はなんのためにするのか。それは行動(なにをどうやってするのか)を選びだすためであって、そこから切り離された論議は、たとえそこで得られた結論が正しくとも、無に等しくなる。反対物に転化するのです。

 せりふの中にもでてきますが、ソ連時代からの負の経験が生きていんですね。論議はするが何もすすまない、変わらない、ということをいやというほと繰り返してきた。

チェチェン紛争(ソ連・ロシアによるチェチェンへの干渉・侵略)を背景にしていることが、さらにこの映画を重く、深いものにしています。戦争は、問答無用の行き着く先でもあり、平和は民主主義を必要としている。その民主主義はいかなるものであるべきなのか。

 私たちの「主権者力」を磨く、すばらしい映画です。




この自由な世界で


ケン・ローチ監督の「この自由な世界で」の広島での上映が決まったようです。

今日、サロンシネマ&シネツインのホームページで発見。
年末ぎりぎりの12月27日(土)から一週間! 見逃さないようにね。

《一人息子ジェイミーを両親に預けて働くシングル・マザーのアンジー。彼女は思いきって自分で職業紹介所を始める。外国人の労働者を企業に紹介する仕事だ。必死にビジネスを軌道にのせるアンジーだが、ある日、不法移民を働かせる方が儲けになることを知る。もっとお金があれば息子と暮らせる、もっと幸せになれる。彼女は越えてはいけない一線を越えた。そして事件が起こる……。この映画の背骨になるのは、競争によってより大きな利益を追う現代社会や移民労働者の問題だ。それは「自由市場」と呼ばれる世界。その世界で人は必死に生き、そのためにしなければならないことをする。誰もがしたいことをして、生きたい場所に行ける自由な世界。でも、本当にこれが、「自由」なのだろうか?》



原題は It's A Free world… 
日本でも貧困と格差の広がりは深刻だけれども、イギリスでも同じ。
フリーとは「ない」ということでもあるから 「この自由な世界」は「この空っぽな世界」でもある。
規制緩和、市場原理主義が何をもたらすのか。
僕もまだ見ていないけど、おそらく映画のなかから日本も見えてくるはず。
ああ、楽しみ。 今日はこれから、「12人の怒れる男たち」みてきまーす。




2008年10月31日金曜日

上耕さん亡くなる

 昨日、日本共産党の副委員長だった、上田耕一郎さんが亡くなりました。



 上田さんの本は8割ぐらいは読んでいると思います。



 最初に読んだのは、高校生のときで、『現代日本と社会主義への道』(新日本出版社)でした。



 とてもわかりやすく、科学的社会主義の理論と日本社会の変革のありかたについて体系的に

理解することができました。



 野呂栄太郎と講座派、久留間鮫造とマルクスレキシコン、戸田慎太郎氏の剰余価値率の計算などについて知ったのも、この本からです。

マルクスやレーニンなど古典からの引用も適度にあって、学習の「出撃基地」になるような本でした。



 2001年、上田さんを広島県労働者学習協議会で呼んで大学習会を開催。

 会場の県民文化センターは人があふれました。テーマは、「21世紀を平和の世紀に」



 2000年に上田さんが『経済』に発表した論文を読んで、あらたな理論展開がされていることに注目しました。それは、20世紀を戦争違法化原則の発展過程ととらえ、日本国憲法9条が実現しうるところまで世界が進んでいるという提起でした。



 この論文が収録されている『戦争・憲法と常備軍』(2001・大月書店)の序文にはつぎのように書かれています。



《戦争の克服は、主権の回復とともに21世紀の最大の国民的課題となっている。 それは21世紀の人類的課題ともいえよう。かつて合法的だった戦争を一般に「違法」とした戦後の国際法の画期的達成、人類の破滅と直結しかねない「核時代」の到来に「核兵器の威嚇・使用は国際法の諸原則に違反する」とした96年の国際司法裁判所の裁定、世界各国に、国連にひろがり続ける核廃絶と戦争反対の世論と運動などなどは、一方でアメリカの一極覇権主義を中心とする国際政治の新たな戦争の危険をはらむ展開があるとはいえ、諸国民が核廃絶からさらに進んで戦争そのものの社会的廃止を目的とすることが可能となりつつあることを示しているのではなかろうか。21世紀を「平和=戦争廃止の世紀」にすることができれば、それは戦争とともに生きてきた数千年の人類社会史の、まったく新しい次元への飛躍を意味することになるだろう。》



 上田さんは、講演にあたって相当の準備をされ、ヒロシマのもつ世界史的意義についても語ってくれました。


 講演そのままではありませんが、その主な内容は、『ブッシュ新帝国主義』(新日本出版社)に収録されています。私たちがお招きしたことが、上田さんの研究のひとつの契機となったこと、うれしく思います。

 上田さんは、我が師、芝田進午の友人でもあったのですが、講演に来られたとき、「芝田が亡くなった翌日に、手紙が来た」と話してくれました。書評への礼状だったそうです。

  

 


 











 

2008年8月20日水曜日

師匠 中易一郎 亡くなる


8月18日、哲学の師匠、中易一郎先生が亡くなりました。


79歳。たしか、1928年生まれだったと思います。

 中易先生との出会いは、大学一年、18歳のとき。

法政大学の倫理学の授業です。先生は拓殖大学に勤めていましたが、法政にもドイツ語と倫理学を教えに来ていたのです。


 先生は風貌も独特でした。唐草模様の風呂敷包み、ミッキーマウスの安物の時計、たばこはゴールデンバット。  先生も執筆者の一人だった『現代の倫理』(青木書店)をテキストにした講義は抜群に面白く、いつも一番前に陣取って講義を聞いていました。大教室の授業でしたが、私語をするものがいると「こら~、うるさい!でていけ~」と一喝。教育者としての厳しさがありました。 


 ご自宅にも何度かお邪魔し、いろんな話を聞きました。


●中曽根氏との面接  


拓殖大学に就職するさい、総長だった中曽根康弘氏の面接を受けたそうです。  

あらかじめ、「マルクスをやっているなどと決して言ってはならない」と就職を世話してくれた人からアドバイスされていたので、「ヘーゲルの研究をしている」と言ったところ、「ヘーゲルか。危険だなあ。哲学はカントまでだな」と中曽根さんは応えたらしい。 さすが中曽根氏。その鋭い(!!)感覚に笑ってしまいました。あっぱれ!


   でも、中易先生、無事就職できたんですね。


●『君たちはどう生きるか』


 『世界』の名編集長だった吉野源三郎さんが亡くなられた頃で、もともとの日本小国民文庫版の『君たちはどう生きるか』(1937)を見せて頂いたりもしました。


 私は、吉野さんが亡くなられて、この本の存在を知り、大学の図書館でポプラ社版の『君たちはどう生きるか』を読んだのですが、「あれはオリジナルとは少し違うから、ぜひオリジナルのものを読むように」と勧められ、オリジナルの復刻版が岩波文庫からそのころ出たので、それを再読しました。


 文庫版には丸山真男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」が収録されています。


「この1930年代末の書物に展開されているのは、人生いかに生くべきか、という倫理だけでなくて、社会科学的認識とは何か、という問題であり、むしろそうした社会認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがある」(310ページ)と丸山さんは述べていますが、中易先生が説く倫理学もまた、そういう性格をもっていたと思います。


●ファンタジーと哲学


 先生は、ファンタジーも好きだったようで、エンデの『モモ』『はてしない物語』、ル・グィンの『ゲド戦記』などについてもよく語っていました。


 「『モモ』は、面白いけど、マルクスについて悪口を書いているぞ」。  


 今日、その箇所をやっと見つけました(怠け者の弟子をお許し下さい)。観光ガイドの若者、ジジの話に出てきます。  「〈赤い王〉とあだ名された世にも残虐な暴君、マルクスセンティウス・コムヌスのことはごぞんじでしょうが、この暴君は、とうじの世界をじぶんの考えどおりにつくり変えようとくわだてた人なのです。ところがどんな方法でやってみても、けっきょく世界はおんなじようなままでしたし、人間というものはそうかんたんには変わらないものだとわかっただけでした」(62ページ)


 当時の社会主義国の実態からすれば、エンデの書いていることもわからないではない。  『はてしない物語』については、こんな話をしてくれました。


 「ファンタジーエン(空想の国)に虚無の侵蝕が始まっている。それを救うために必要なのは、このファンタジーエンに、現実から少年(バスチアン)が訪れることであり、そのことがまた、現実世界の虚無を救う…。これは認識論として重要だ」


 人間の認識の源泉は現実世界にあり、現実と思想の行き来が弱まると、その両方の世界が危機に陥る。「はてしない物語」とはその永遠の交互作用のことなのだということでしょう。  


 そして、ファンタジーエンの女王、幼ごころの君に新しい「名前」をつけることが重要な意味をもつのですが、「名前」については『ゲド戦記』について語ってくれたことを紹介しましょう。


 「名づけるということは、そのもののもつ本質をつかみだすことである。怪獣が登場して、すぐさま『ゼットンだあ』なんていうのは分かるわけがない。対象に対する研究があって始めてものごとの本質はつかむことができる」と中易先生。


   「たったひとつの名まえをつきとめる。ただそれだけのために、これまで何と多くのすぐれた魔法使いがその生涯をかけてきたことじゃろう。失われたか、また、あばかれぬかするたったひとつの名まえを明らかにせんとしてな」(『影とのたたかい ゲド戦記Ⅰ』76ページ)

 「そう、魔法使いの力にかなうものは、自分の身近なもの、つまり、すべてを正確に、あやまたずに、その真(まこと)の名で言い得るものにかぎられるんじゃ」(同78ページ)  


 中易先生には、『やさしい哲学』(ペンネーム須賀三郎・学習の友社)という著書があります。


  「ぼくらがあるものを明らかにするには、まず、ほかのものから、区別する必要がある。いつもつながり(連関)とともにちがい(区別)を明らかにしないとだめだ。ーー区別と連関は弁証法的な考え方を身につけるうえで大切なことだ」(15ページ)と書いているが、まさに「真の名」をつきとめ、概念を規定することは同一と区別を明らかにすることによって可能となるのです。


●対象変革が自己変革を引き起こし、自己変革が対象変革を…  


 思い出はつきませんが、最後に、ボクがノートに抜き書きして、ときどき読み返しては、自分を励ましてきた文章を紹介し、結びとします。  


 「運動というのは、はじめから完璧なものはなにひとつとしてないのも事実だ。運動の運動たるゆえんは、いままでになかったものが生成する点にある。


  ダメ男とダメ女の連合というみばえのしない運動であっても、ただ一点、未来を支える次代者を人間へと生成させようとするベクトルで結ばれ、自分自身を例外者の高みにおかない決意さえあるならば、運動そのものの論理によって、


 すなわち、対象変革は自己変革をひきおこし、自己変革はまた、対象変革にはねかえるという論理によって、たとえ最初は社会の一部に限定されたささやかな運動であろうとも、この運動の過程のなかで運動者自身が自己を真に民主的、人間的に改造することができ、こうした人間たちの連帯運動は、人類の未来を背負う逞しい次代を出現させるであろう。


 小さな運動の流れが各地でつぎつぎ合流しながら、相互に経験を交流して大河になってゆくとき、解決不能にみえた問題も解決可能な形態で開示されてくるだろう」


(中易一郎「社会の鏡としての非行とその克服」『唯物論研究』第5号,1981、 より)